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「親密感への恐れ」と「門限」と「白タイツ」のお話。。。

ども〜☆
恋愛・結婚サポーターの鶴園みあです^^

「人とはそこそこ仲良くできるけど
あまり関係が近くなると、なんだか窮屈で
疲れてしまう」

「少々仲良くなった相手でも
一定の距離以上近づかれそうになると
ひいてしまう」

「でも、そのせいか
周りに友だちはいるのに
孤独を感じることがある」

「一人は寂しいし、結婚もしたいけど
人と近づけない私に、パートナーなんて
作れるのか、不安。。。」

こういうお悩み、お持ちじゃないですか?

ちょうど良いと感じる「人との距離」って
人それぞれ、好みの問題ですから
「あまり近づきすぎるのは、嫌」
「ある程度、距離が欲しい」
ということ自体には
なんの問題もないと思うのです。

だけど、もし
「距離をとりたくて、とってるはずなのに
それはそれで、寂しい」
「かといって、近づこうとすると
抵抗が出る」
という葛藤が、貴女の中にあるのなら
その裏には

「親密感への恐れ」

という問題が隠れているのかもしれません。

「親密感への恐れ」というのは

”なんらかの理由から”
人と親密になることに、恐れを感じている」

ということ。

私がこういうお悩みをご相談いただいた場合
その方にとっての「なんらかの理由」が
一体なんなのか、探っていくわけですが
その第一歩として
かなりの確率でお尋ねする質問、それは

「お母さん
どんな人だった?」

というものです。

私たちはみな、お母さんのお腹の中から
生まれてきます。

なので、たいがい
生まれて最初に出会うのは、お母さん。

そして、生まれて最初の何年かは
このお母さんとの関係が
一番密接で、多くの時間と世界を占める
人間関係だったりします。

もちろん、最近は、お父さんも
積極的に育児に参加する傾向が
強まってきてますが、それでもやはり
子どもと一番密に関わる存在は、いまだに
お母さんであることが多いでしょう。

つまり、小さい子どもにとって
お母さんとの人間関係、お母さんの存在は
生きる世界のほとんど全てだったりします。

そして、このときのお母さんとの関係が
どんなだったか、そして
その関わりのなかでどんな感情を感じたかが
人間関係に関するさまざまな思い込みや
クセを作り出し
それらは、私たちの無意識に刷り込まれ
私たちが大人になってからの人間関係にも
大きく影響します。

ちなみに、私も
この「親密感への恐れ」というところで
大きくつまずいていた一人です。

で、そんな私の母親が
どんな人だったのかというと。。。

良くも悪くも
強烈なオカンでした。

今思えば、ものすんごい過干渉。

小さいころから
徹底的に監視され、管理されてましたねえ。

どれくらいコントロールがきつかったか
それを端的にお伝えできるネタが
2つあります。

それは

「門限は4時」

そして

「夏でも白タイツ」

です。

まず1つ目の「門限は4時」

うちはずっと、門限は4時だったんですよ。

あ、朝じゃなくて、夕方ねw

ちょっと早くないですか

もうねえ
4時を1分でも過ぎて帰った日には、オカン
鬼の形相で待ってるんですよ( ̄▽ ̄;)

だから、遊びにいっても、時間を気にして
ソワソワ。。。

6時間授業の学年ともなると
そもそも、下校するのが4時近くなので
遊びにも行けません。

小さいころに何年も厳しく受けてた躾って
強力というか怖いですね〜^^;

私、母と離れて暮らすようになってからも
夕方4時を過ぎると、なんだかソワソワする
ってことが、しばらく続いてたんですよ。

あれ、きっと
子どものころの門限の
名残りというか、呪縛ですねw

それから、2つ目「夏でも白タイツ」

「女の子は腰を冷やしたらアカンから

っていうのが、オカンの説明だったんですが
クッソあっつい真夏でも
白くて分厚いタイツ履かせるって
やりすぎじゃないですか!?

でも、小学3年生くらいまで
履かされてました。

「”暑いから嫌や”って
言わんかったん?」
って思うでしょ。

でも、言えんかったんですよ〜。

当時のオカンは、なんでも頭ごなしで
下手に反論して機嫌を損なうと
とんでもなくヒステリックになって
ほんまヤバかったんですよ。

だから、小さい子どもが反論なんて
到底できませんでした。

オカンに言われたことには
嫌だろうがなんだろうが
というか、そんなの考える暇なく
無条件に従ってました。

いま思えば

完全に癒着の状態

です。

オカンと良好な関係を保つには
そうするのが一番だ

オカンの考えと違う自己主張を
ちょっとでもしようものなら
たちまち、関係は壊れて
恐ろしい罰を受けることになる

オカンと密に関わっていたのは
じつは、オカンが割烹のお店を始めて
夜に仕事に出かけるようになるまでの
9年ほどだけだったんですが
(その後は、父との関係のほうが
密になります。)
そのあいだのオカンとの関わりを通して
身につけた、良好な人間関係の秘訣(?)は
大きくなってからの他の人間関係にも
無意識のうちに適用されました。

友だちと一緒にいるときに
「あれがいい」「こうしたい」
と友だちが言えば
自分がどうしたいかはあまり言わず
友だちに合わせるようになりました。

それでもまだ、小学生のころは
ある程度は自己主張してたんですが
中学のときに、いじめに遭い
これがトドメとなって
友だちに合わせる度合いは
強まった気がします。

でも、あんまり人に合わせてばかりだと
めっちゃ窮屈で、めんどくさくて
だんだんと、人づきあいが億劫になってきて
友だちは作るけど、いつも一定の距離を
置くようになりました。

ただ、そうは言っても
そんなことばっかりしてると
寂しいんですよね。

で、そんなときに
たまにめっちゃ心を許せる人が現れると
こんどは、その人にめっちゃ依存して
その人から干渉を受けても拒否できず
全部それに従うという、癒着の状態。。。

と、極端から極端に振れてました。

人とは親密になりたい

だけど、親密になると
あのときのオカンみたいに
えげつなく干渉されて、コントロールされて
それに合わせなきゃいけなくなる

だから、親密になるのが怖い

って、ずっと思ってました。

幼いころのオカンとの関係が
こんなかたちで影響してたんですね〜。

でもねえ、オカンも
しかたなかったんやろな〜って思うんです。

オカンねえ、流産を何回も繰り返してて
その末にやっと生まれてきたのが
私やったんですよ。

もしかしたら、オカン
「やっと生まれてきたこの子を
失うわけにはいかん!」
っていう思いが強かったぶん
事故とか病気とかで我が子を失う恐れも
強かったのかな〜って。

しかも私、小さいときに
膀胱炎になったことがあって
オカン、それで余計に恐れが強くなって
「腰冷やしたらアカン!」
って、白タイツへの強いこだわりが
できちゃったんでしょうね。

そう考えると、あのきつすぎる
コントロールも監視も
オカンなりの愛だったんだよね〜

・・・って

愛は愛として受け取りながらも
癒着は手放したほうがいい☆

結構大変だったけど
オカンとの癒着を手放したことで
人との関わり方が変わってきて、それにより
私の中の親密感への恐れも
ずいぶんと減りました。

まあ、一人の時間が好きなのは
変わらへんけどね。

私の場合は
オカンの過干渉とか癒着が原因だったけど
他にもいろんなパターンがあります。

人と親密になることに抵抗のある人は
子どものころのお母さんとの関係を
振り返ってみると、そこに
原因や解決策があるかもですよ☆

「私も、お母さんとの関係を
癒やしたほうがいいのかな?」
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