今回は、2006年2月の
ヒーリングワークでのお話
空き巣に入られたことがきっかけで
マンションを手に入れ
相方との結婚も決まり、しかも
ファシリテーターさんとの癒着の手放しも
着々と進んでいたころのエピソードです☆
前回が3月ごろのお話ですから
ちょっと時期が前後します。
前回のお話は、こちら↓
このシリーズ全話のリストは、こちら↓
2006年2月のヒーリングワークで
私はフォーカスパーソンに当たりました。
フォーカスパーソンというのは
みんなの前で
自分が抱えている問題や悩みをシェアし
その原因となっている心理的なブロックを
取り除くためのセッションを
トレーナーから受ける人をいいます。
当時の私は
ずっと踏み切れずにいた相方との結婚を決め
(10月にハワイで
挙式することになっていました。)
しかも、前々からほしかった
マンションも手に入れ
さらに、なかなか進まなかった
ファシリテーターさんとの癒着の手放しも
ここへきて着々と、進みはじめていました。
なので
あとは幸せに向かってガンガン進むのみ!
って感じのはず。
だから、本当なら
「このままどんどん幸せになりたいので
そのためのセッションをお願いします☆」
って、シェアしてもよかったんですよね。
ところが、このとき私は、何を血迷ったか
「兄の問題を放ったらかしにしたまま
幸せになんてなれません」
と、シェアしたのです!?
うちの兄貴、初登場です。
今まで話に出てきませんでしたから
「おったんかいっっ!?」
と思われた方も多いでしょう。
はい、おったんですw
「兄を置いて、私だけ幸せになれません」
なんて言うくらいだから
よっぽどお兄ちゃんが大好きなのね~
と思われた貴女☆
い~え、ぜんぜんっっ!
むしろ、同じ空間で同じ空気を吸うのも
忌まわしく思うくらい
兄貴のことが大嫌いでした。
だったら、なぜ???
このあたりのことを
今回から何回かに分けて
お話しいたします。
まず、うちの家族について
説明させてください。
私が生まれ育ったのは
大阪の岸和田市。
だんじり祭りで有名な地です。
この地で親父は
金融業と不動産業を営んでいました。
気性は激しく
自分のモノサシに合う人間は
ものすごく大事にしましたが
ひとたび自分のモノサシに合わなくなると
その人の人格そのものをも全否定し
完膚無きまでに叩き潰してしまう
そんな人でした。
それは、我が子に対しても同じでした。
私が高校2年のころ
親父の長年の浮気に耐えかねて
母が家を出ていくことになったとき
親父は、私たち子どもにこう言ったんです
「お母さんについていきたければ
行けばいい。
ただし、そんなことをすれば
お前らを潰すぞ。
この世の中で
生きていけんようにしてやるから
そのつもりでいろ!」
この考え方は、このときに限ったことでは
ありませんでした。
小さいときから私は
「父のモノサシに合う人間でいなければ
この家でも、そして家の外でも
生きていけなくなるんじゃないか」
という恐れを、ずっと感じていました。
うちの親父は、この土地の名士でも
この国の権力者でもありませんから
私たちが世の中で
生きていけなくなるようにしようにも
そんなことはできないでしょう。
大人になった今なら、それが分かります。
でも、親の庇護なしでは生きていけない
無力な子どもには
それが分からなかったんですね。
そんなわけで父は
我が家の独裁者って感じでした。
うちのおかんは、結婚直後から
親父の浮気に悩まされていたせいか
私たち子どものちょっとしたことにも
ひどくヒステリックな怒りかたをしました。
激しい体罰もしょっちゅうで、気がつけば
私も妹も、そんなおかんには
あまり近づかなくなっていました。
おかん自身も
そんな自分が嫌だったんでしょうね。
私が小学2,3年生くらいのころに
割烹のお店を開き、夜にはそのお店へ
出かけるようになりました。
お店のお客さんとおしゃべりをして
気分転換できるようになったおかげか
おかんがヒステリーを起こすことは
減りましたが
日中は、夜に備えてリビングで昼寝をし
夕方には出かけて
夜中に帰る毎日になったので
結局、おかんと私たちの距離は
縮まりませんでした。
そのぶん、親父が夕方帰ってきて
私たちの世話をするようになったので
親父とのつながりのほうが強くなりました。
結果、うちの家庭は
親父と兄と私、妹の4人がかたまり
おかんは、いつもちょっと
あぶれている感じでした。
私の兄は、私とは10歳も離れていて
そのせいか、私に物心がついたころには
お兄ちゃんというよりも
「どこのオッサン???」
って感じでした。
むさくるしいし、うっとうしいし
大嫌いでした。
両親からは、長男ということもあり
かなり期待はかけられていたと思います。
でも兄貴は、その期待に応えられず
両親からよく叱られていました。
期待って、強ければ強いほど
ちょっと応えられないだけでも
失望は大きくなる
そういうものなんでしょうね。
兄貴の出来が悪かったとか
そういうことじゃないんだと思います。
両親の期待が強すぎたのでしょう
なにせ、親父もおかんも
完ぺき主義の強い人でしたし。
今は、そんなふうに思えるんですけどね
昔の私は、そうじゃなかった。
「兄貴が無能なんだ」
と、バカにしてました。
いつもしかめっ面をしていて、うっとうしい
なんでも知ったかぶりをして、批判をする
気が小さいくせに、虚勢を張る
親父に気に入られようと
なにかにつけて親父の「猿マネ」をする
親父と一緒に会社をやるようになってからは
親父のパンチパーマまで真似てました。
そんな兄貴が、本当に嫌いでした。
私より4歳下の妹は
陽気で大らかで天真爛漫。
末っ子ということもあって
両親から可愛がられ
のびのびと育てられていました。
そして私は
兄と妹に挟まれた真ん中の子。
え~、全国の「真ん中っ子」のみなさん
まん中って、立場ビミョーで
辛いですよね~w
上ほどに期待されたり
アテにされたりしないし
かと言って
末っ子ほどに甘やかしてもらえないし
中途半端に厳しくされるし。
一番上じゃないし
しかも男じゃないしってことで
兄貴ほど期待されず
かと言って
頑張らなかったり、甘えようとしたら
「あんたはお姉ちゃんやねんからっ!」
って突き放されて、妹ほど可愛がられず
とにかく中途半端なんですよ
親から注がれる愛情も、関心も。
そんな中途半端な真ん中っ子が
どうやって両親に注目されて
この家で生き延びていくのか?
のほほんと可愛らしいキャラでいこうにも
どうせ私じゃあ
妹のようには可愛がってもらえない。
だったら、兄貴を蹴落として
兄貴の位置にいくしかないですやん。
実際私は、小学生のころから
何かにつけて兄貴と比べられ
ちょっと勉強ができれば
「お兄ちゃんが小学生のころよりも
よくデキる!」
と、両親から喜ばれたものです。
兄貴は両親から失望されてばかりだし
これは、チャンスかも☆
と、どこかで思っていました。
兄貴よりも良い成績
兄貴よりも良い高校
兄貴よりも良い大学
そして、兄貴が合格できなかった
司法書士試験に合格・・・
兄貴にかけられた両親の期待に
私が兄貴に代わって応えることで
兄貴を蹴落とそう
兄貴の位置に私が入ろう
そして
両親の愛情と注目を一身に受けよう
この家で生き延びていこう
と、していました。
こんなふうに私は
何もしなくても可愛がられる妹への嫉妬心と
兄貴への強い競争心を
ずっと抱えて生きてきたのです。
以前
「私がこれまで頑張ってきたのは
親父や世間の男たちを
見返してやりたかったから」
って書きましたが
世間の男たちを見返してやることと
兄貴を打ち負かすことは
私のなかでは同じことでした。
男の子というだけで
両親から期待を一身に受けている兄貴に対し
「なんやねん!オチン○ンついてるってだけで
周りからチヤホヤされやがってっっ!?」
という、世間の男たち全員への怒りを
私はぶつけていたのですから。
・・・とまあ、うちの家族は
こんな感じでした。
私の大嫌いな兄貴は
親父の勧めで司法書士試験を
何度か受験したものの合格できず
受験を続けることを断念し
親父の会社を
一緒に経営していくことになりました。
ところが、バブルがはじけ
親父が株取引に失敗したこともあって
会社はつぶれてしまいます。
残された何億という借金の返済をめぐって
兄貴は、親父とトラブルになり
自己破産にまで追い込まれました。
このことで兄貴は
親父と断絶状態になります。
これまで、あんなに親父に気に入られよう
親父のようになろうと
猿マネまでしてきた兄貴が、です。
ずっと親父のモノサシを基準に
生きてきた兄貴にとっては
すべての価値判断の基準を
突然失ったも同然だったはず。
金銭的にも精神的にもどん底に追い込まれ
兄貴は鬱病を発症しました。
そんな兄貴の状況を、私は
母から知らされました。
(大嫌いだったので、大人になってからは
ほとんど行き来がなかったんです。)
そうは言っても
兄貴はもう結婚してるんやし、兄貴のことは
お嫁さんに任せておけばええやん?
大嫌いやったくせに、そのアンタが
兄貴のことを心配して
幸せになることにブレーキをかけんでも・・
って、思いますよね?
たぶんねえ、私
自分が幸せになったり、楽しむことに
すんごい罪悪感があったんでしょう。
「こんな私が幸せになっちゃいけない」
「こんな私が楽しんじゃいけない」
ってそんな感覚
みなさんの中にもありませんか?
この感覚が強いために私は
兄貴のことを理由に使って
幸せになることから
逃げようとしてたんでしょうね。
まあ、それも
理由のひとつではあるんですが・・・
妹である私からさんざん毛嫌いされてきて
さんざんバカにされてきたのに、兄貴は
私が高校に入学したときも
大学に入学したときも
司法書士試験に合格したときも
お祝いをくれたんです。
私が司法書士として独立したときも
兄貴は知り合いの不動産業者を紹介してくれ
仕事をまわしてくれたりもしました。
本当に、本当に
優しいお兄ちゃんだったんですね。
ホントは私も
どこかで分かっていました。
だから、兄貴が鬱病になったと聞いたとき
今までさんざん嫌って、さんざんバカにして
さんざん蹴落としてきた自分を思うと
罪悪感と後悔の念が出てきたんです。
そんなこともあって
例のシェアになりました↓
「兄貴を置いて、幸せになれません」
そんな私のために
トレーナーがしてくれたセッションは・・・
まず、次の役にぴったりな人たちを
会場の中から選ぶよう言われました↓
「白いワンピースが似合う
”お兄ちゃん、お兄ちゃん ”って感じの妹」
「理想のお兄ちゃん」
「現実の兄貴」
そしてトレーナーは、私が選んだ人たちを
私の前に、縦一列に並ばせました。
まず、「白いワンピースが似合う妹」に
近づいていってハグしたあと
「理想のお兄ちゃん」にも
近づいていってハグ
そして、この2人と一緒に
「現実の兄貴」に近づいていって
ハグしなさい
というのです。
そして、スタート地点にいる私の手に
トレーナーは
会場のホワイトボードのマーカーペンを
ひとつ握らせました。
「これを、貴女がこれまでずっと
持ち続けてきた、ナイフだと
思ってください。」
「貴女は、お家のなかで
自分を守ってくれるのはこれしかないと思い
ずっと持ち続けてきましたよね?」
「今日、彼らに近づいていく前に、まず
このナイフを手放してもらえますか?」
そうなんです!そうなんです!
思えば私、家にいるときはずっと
どうやって親父から
「抹殺」されずに生き延びていこうかと
そんなことばかり
考えていたような気がします。
何もせずにぼ~っと
のほほんとしていても
妹みたいに可愛がってもらえない
それどころか
「お前は役立たずの
能なしのグズじゃっっ!」
と断罪され、人格を全否定され
抹殺されると思っていました。
ぼ~っとしてても愛してもらえないし
守ってもらえない
甘えや弱さを見せれば
攻撃される、抹殺される
自分を守れるのは、自分しかいない
そして、この家で生き延びていくには
誰かを蹴落として
「いけにえ」にするしかない
すんごいサバイバルゲームです。
安息の場所?
うちはそんな場所ではありませんでした。
でも、大人になって
親から離れて暮らすようになった今
もう、親父の抹殺を恐れる必要はないはず。
サバイバルゲームは、戦争は
終わったはず。
ナイフはもう、いらないはずなんですよね。
だけれども、長年戦い続けてきたために
私の心はまだ
「終戦」に気づいていませんでした。
家族の中だけでなく
大人になって他の人たちの中に入っても
「弱さや甘えを見せれば
きっと周りから攻撃される」
と恐れ、ナイフを握りしめたまま
どうやって自分を守ろうか
どうやって生き延びていこうかと
身を固くして、孤独な戦いを
続けていたようです。
「もう、戦争は終わったんやで」
私は、ナイフに見立てた
マーカーペンを手放し
床にポトリと落とした後
ゆっくりと歩きだしました。
ところで
セッション中は
私が感情を出しやすいように
トレーナーが
いろんな言葉をかけてきました。
なかでもグサっと刺さったのは
「貴女は、お兄さんに
トドメを刺してしまいましたね」
という言葉。
どわ~~~っと、罪悪感が出てきました。
そうなんです
兄貴との競争に圧勝することで、私は
兄貴を完膚なきまでにやっつけて
兄貴の自信もプライドも
粉々にしてしまいましたからね。
でも、ある意味
いちばんショックを受けた言葉は、これ↓
「貴女は
家という戦場を生き延びるために
“男顔負けに”頑張って
戦ってきました・・・
っていうか
もはや完全に、屈強な男ですよね」
もうねえ
それまでいろんな感情が出てきて
涙も流しながら
一歩、また一歩と歩いていたのに
この瞬間だけ素に戻って
思わず、吉本新喜劇みたいに
コケそうになりましたよ^^;
まあ、そんなネタはいいとして(笑)
私の兄貴の話は
私のオス化や強い自己嫌悪と
深い関係があるようなので
それについては
次回に詳しく解説します☆↓
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