前3話では
「空き巣に入られたことがきっかけで
数々のミラクルを引き寄せ
結婚まで決めてしまった」
というお話をいたしました。
前回のお話は、こちら↓
このシリーズ全話のリストは、こちら↓
今回のお話の舞台は
空き巣に入られてから約1週間後、つまり
大型マンションの販売センターに行くよりも
前の時点に、さかのぼります。
2005年12月の27日だったか
28日だったかの夜
私は、カウンセリングのスクールの
系列であるカウンセリングの会社の
カウンセリングルームにいました。
ここへきて、やっと私は
心理カウンセリングというものを
受けてみることにしたのです。
当時の私は
ファシリテーターさんに父親を投影し
彼に癒着して
でも、それを
「手放さなきゃ!」
とあがき
ワ~!ギャ~!ピ~!
の状態にありました。
「大好き~♡」という自分の気持ちや
「愛してほしい」「認めてほしい」
「受け容れてほしい」という欲求を
「それは癒着なんだから
手放さなきゃダメ~~~!」
「そんなこと思っちゃダメ~~~!」
と、理屈や理性で抑え込もうとして
私の心と頭は、四六時中
激しい戦争状態にありました。
もうね~
こんなに仲が悪いんなら、いっそのこと
首のあたりでチョキンと切り離して
頭は頭、ハートはハートで
別々の個体として生きていくほうが
よっぽどラクやん
って感じでしたね~。
まあ、実際にそんなことをしたなら
かたや生首、かたや首なし人間で
かなりホラーでしょうけれどw
仲の悪いもんどうし
ひとつ屋根の下で
(というか、ひとつ身体の中で?)
生きていくことほど
過酷なことはありません。
そんな状態を、数ヶ月続けてきたので
もうええかげん疲れきっていました。
なのに、癒着はいっこうに手放せないし
そんな自分が嫌で嫌で、毎日楽しくないしで
どうしようもなくなって
心理カウンセリングに
頼ることにしたんです。
決して弱音を吐かない
強気で頑張り屋な私ですが
もうズタズタのボロボロのヘロヘロでした。
(しかも、1週間前に空き巣に入られて
トドメ刺されてますしw)
このときばかりは
カウンセリングのしょっぱなから
涙も鼻水も垂れ流しながら
自分の中の「惨状」を話しました。
でもね~、こんなときでも私
変な癖があるんですよね~^^;
相手はプロのカウンセラーさんなんだから
普通に
「ファシリテーターさんのことが大好きで
大好きすぎて、苦しいんです」
って言えばいいじゃないですか。
なのに私は
「ファシリテーターさんのことが大好きで
でも、これって、たぶん
父親を投影してるんだと思うんです。
・・・ファシリテーターさんに
普通に近づくことができなくて
でも、近づけないと寂しくて、辛いんです。
でもこれって
私のニーズ(欲求)だと思うし
・・だから手放さないといけないって思って
頑張ってるんですが
辛すぎて、どうにもならないんです~!」
というふうに話していました。
自分の身に起きた出来事や
それに対する感情を話せば十分なのに
自分の感情を、投影だとかニーズだとか
自分で分析したり
評価したりしてたんですね。
そもそも分析なんて
カウンセラーさんに任せればいいことですし
感情に良いも悪いもないのですから
評価する必要なんてありませんやん。
なのに私は
こんな相談のしかたをしていました。
思えば私、相談のときだけでなく、普段から
自分の中でこんなことを
ずっとしていたんでしょうね。
なので、このとき
カウンセラーさんからもらったアドバイスは
「ご自分の気持ちを
力でねじ伏せなくていいんですよ☆」
というものでした。
心理学をちょっとかじったぐらいのころに
多くの人が陥ってしまう、落とし穴が
あるように思います。
その落とし穴のひとつが
「自分の感情に、○×をつけてしまう」
というものです。
心理学関係のいろんな記事で
罪悪感とか、自己嫌悪とか
嫉妬などといった感情について
よく書かれていますよね。
で、そこに書かれているように
罪悪感とか、自己嫌悪とか
嫉妬などといったネガティブな感情は
感じているご本人にとっても
そして周りの人たちにとっても
あまり気持ちのいいものではありませんし
トラブルの種になることも少なくないですし
あまりお得なものではありません。
でも、だからと言って
感じないようにしようとするのは
到底不可能ですし
感じてしまった自分を
責める必要もないんですよね。
だって、人間ですもの。
気持ちのよくないものだろうが
トラブルの種になろうが
お得なものでなかろうが
罪悪感を感じちゃうときは
感じちゃいますし
自己嫌悪を感じちゃうときは
感じちゃいますし
嫉妬しちゃうときは
しちゃうんです。
「これはネガティブな感情だから
感じないようにしよう」
とするのは
「ウンチは汚いものだから
出さないようにしよう」
とするのと同じです。
ウンチを出さないようにしようと
どんなに貴女が頑張っても
貴女の内臓は
オートマチックに活動を続け
ウンチを製造(?)しますよね。
(べつに、ウンチを製造することが
主目的ではないのでしょうけれど)
にもかかわらず、貴女が
「出さないようにしよう」
と、なおも頑張ったとしたら
どうなるでしょう?
大腸には、製造されたにもかかわらず
排出されないままのウンチが
たまりにたまって、かえって
身体に悪いと思いませんか?
(ちなみに
ひどい便秘でウンチがたまりすぎ
激しい腹痛で、救急車のお世話になるくらい
大変なことになった友人を
知っていますw)
心だって、同じです。
ネガティブな感情を感じないようにしようと
どんなに貴女が頑張っても、心では勝手に
いろんな感情が出てきます。
にもかかわらず、貴女が
「感じないようにしよう」
と、なおも頑張ったとしたら・・・
本当はすでに出てきているネガティブな感情が
吐き出されないまま、貴女の心に
たまっていくことになります。
これって、とってもしんどいことだと
思いませんか?
ウンチもネガティブな感情も
どう頑張ったって出てくるときは出てくるんだから
むしろ、出てくるものは
ちゃんと吐き出してしまったほうが
よっぽど健康的ですよね。
なのに、当時の私は
「これは癒着だから、ダメ!」
とか
「これはニーズだから、ダメ!」
と、自分の気持ちに○×をつけて
×がついた感情はすべて
「ないものにしよう」としていたんです。
でも、ないものにされかかった感情のほうは
「存亡の機!」とばかりに
必死に抵抗します。
その結果が、心と頭の激しい戦争状態です。
戦争状態というよりも
「コギャルとオヤジがお茶の間で
一緒にテレビを観てる」
というシーンを想像していただいたほうが
私の感覚としては、しっくりきます。
たとえば、お茶の間のテレビで
すんごいロマンチックな恋愛ドラマを
やってるわけですよ。
で、コギャルが夢中で観てます。
「素敵~♡」
と憧れてみたり
「ヒロインが可哀そう~~~」
と泣いてみたり
「これからどうなるんだろ~?」
と、胸を躍らせたりして。
ところが、その横で晩酌している
お父ちゃん。
理屈っぽくって頑固なオヤジが
ことあるごとに
ドラマやら娘の反応やらに
ツッコミを入れます。
「この設定でこの展開は
おかしいやろ~w」
「俳優も女優も、演技ヘタクソやなあ!」
「お前も、なんでこんな話で
泣くことあるねん!?」
「おいおい、こんな安っぽいドラマに
夢中になるなんて、おかしいやろ~w」
最初のあいだは、イラっとしながらも
無視を決めていたコギャルも
いいかげん怒りだします。
「もう!お父ちゃん、うるさいねんっっ!
静かにしてよっっ!」
「お父ちゃんに向かって、なんや!?
その口の利きようはっっ!?
お前のほうこそ
こんなくだらんドラマを観とらんと
勉強しろ、勉強っっ!」
やがて、親子喧嘩で、お父ちゃんも娘も
ドラマどころではなくなります。
当時の私の内側も、こんな状態でした。
いろんなモノや
出来事(=テレビのドラマ)を前にして
いろんな感情が出てきても(=コギャル)
出てきたそばから
「その感情は、よくない」だの
「ここでそんな感情を感じるのは
おかしいやん」だの
自分でツッコミを入れたり
批判したりして(=オヤジのツッコミ)
抑え込もうとしたり、責めたり
追い立てたりしてたんですね。
結果、心と頭が四六時中
喧嘩ばかりしていて
肝心の目の前のモノや出来事なんて
ちゃんと見れていませんでした。
だから、そのせいもあってか
日々暮らしていても、なんだか
その時その時を
ちゃんと生きていない感じがあったんです。
「うわの空」っていうんですかね。
と言っても、別に
ぼ~っとしてたわけではないんですよ。
むしろ、心も頭もフル回転していたんですが
今という瞬間に意識が向いていない
集中できていない、堪能できていない
っていう感じでした。
で、ぜんぜん集中できていないのに
ものすんごく疲れてたんですね。
(そりゃそうです
心も頭もフル回転ですから。)
「ご自分の気持ちを
力でねじ伏せなくていいんですよ☆」
というカウンセラーさんのアドバイスは
「もう、その戦争は
終わりにしましょうね」
という提案だったのでしょう。
「大好き」は「大好き」
「愛してほしい」は「愛してほしい」
癒着だとかニーズだとか
そんな判断はせず
まずは出てきた自分の気持ちを
そのまんま受け容れて
そのまんま感じて
吐き出しちゃいましょう
ということなんですね。
お茶の間のオヤジには
ちょっと黙っていただいて
娘を見守っていただきましょう
ってことでしょうかw
カウンセリングは1時間経ったあたりで
一旦休憩が入りました。
そして、15分ほどして、後半スタート。
多くの場合、後半は、セラピーといって
イメージワークなどを用いて
心の深い部分のブロックを取り除いたり
痛みを癒やしたりするのですが
このときカウンセラーさんに
していただいたのは
ちょっと違ってました。
「目を閉じて、リラックスした状態で
しばらくのあいだ
音楽に意識を向けていてくださいね」
と言われたのです。
とても優しい音楽が流れてきて
私はひたすら
その音楽に耳を傾けつづけました。
途中、起きているとも寝ているとも
分からない状態になりましたが
そのまま音楽に集中していました。
やがて音楽は終わり
カウンセラーさんに促されて
目を開けました。
「今、どんなご気分ですか?」
寝ていたわけではないのですが
(ずっと音楽が聞こえていましたから。)
思いっきり熟睡したあとのように
スッキリとしていました。
つい先ほどまでの
ズタズタのボロボロのヘロヘロが
ウソのようです!
「どれくらいの時間
目を閉じていたと思いますか?」
私の感覚では
とてもとても長い時間のように
感じられたのですが、じつは
10分しか経っていませんでした。
べつに、特別なセラピーを
してもらったわけではありません。
ただ、目を閉じて
音楽を聴いていただけです。
しかも、たった10分。
でも、まるで魔法のように
私は癒やされたのです。
いま思えば、なんのことはありません。
私の心も頭も、特に頭のほうは
四六時中フル回転していました。
自分の感情に○×をつけることに
自分の出来ていないことを責めることに
やらなきゃいけないことをやれと
自分を追い立てることに
四六時じゅう大忙しでした。
それはまるで
24時間立ち上がりっぱなしの
パソコンのようです。
そんな調子で立ち上がりっぱなしで
動きっぱなしでいると
パソコンもそのうち
フリーズをたびたび起こすようになって
やがては壊れてしまいますよね。
どこかで、電源を
OFFにしてあげる必要があります。
目を閉じて、音楽に意識を向けたとき
私の思考は止まっていました。
(多少雑念が出てきても
再び意識を音楽に向けることで
出てきた雑念はさら~っと流れて
消えていきました。)
つまり、パソコンの電源が
久々に、本当に久々に
OFFになったんです。
たった10分ではありましたが
この休息は私にとっては
ものすごく大きなものでした。
それくらい、私の頭は
全く休んでいなかったようです。
「これから、ときどきこうやって
音楽に集中する時間を
作ってみてくださいね☆」
カウンセラーさんから言われたとおり
私はそれから、日に1度あるいは数度
そういう時間を取るようにしました。
続けてみて分かったのですが、実はこれ
思考を止める、頭を休める以外にも
プラスになることがあるようです。
思考が止まる、つまり
お茶の間のオヤジが黙る
あるいは退席することで
コギャルが心おきなく
ドラマを観ることができ
泣いたり、感動したり
できるようになるんですね。
なので、目を閉じてリラックスした状態で
音楽を聴いてるうちに
いろんな感情がじわじわ~っと出てきたり
涙が出てきたりすることもありました。
でも、そんなときも
ただ音楽に意識を向けて、そのかたわらで
出てくる感情や涙はそのまま出るにまかせる
というふうにしていました。
すると、不思議です。
胸がチクチクしたり
胃がキュンとなるような、痛い感情も
少しずつ飴玉が溶けてなくなっていくように
溶けて消えていくというか
流れていくというか
そんな感じで癒やされていきました。
感情を感じつくすってこういうことなんだ
と、初めて体感した経験でした。
カウンセラーさんから
新しい技(?)を教えてもらったつるぞのは
これを毎日続けることで
ファシリテーターさんに対するいろんな感情も
そのまんま受け容れて
感じつくしていきました。
そのおかげでしょうか。
やがて、手放しのときが訪れます。
次回に続きます☆↓
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