このシリーズを
読んでくださっている方たちから
「”感情を感じつくす”って
よく分からない」
「恐れの中に入る、恐れを感じつくすって
どういうこと?」
など
「感情を感じつくす」ということについての
ご質問を、立てつづけにいただきました。
今でこそエラそ~に
「感情を感じつくしましょう」
なんて言ったり、書いたりしている私ですが
「”感情を感じつくす”って
どういうことなん?」
という疑問や戸惑いを抱えて
長いあいだ
ジレンマに苦しんでいたことがあるんです。
今回は、そのあたりのことを
お話しいたします☆
前回のお話は、こちら↓
このシリーズ全話のリストは、こちら↓
当時の私は、カウンセリングスクールの
ヒーリングワークで
父やファシリテーターさんとの
癒着に関係するようなセッションを見ると
いろんな痛い感情がいっぱい出てきて
ワ~!ギャ~!ピ~!
の阿鼻叫喚状態になっていましたが
それ以外のテーマを扱う
セッションに対しては、どうしたわけか
ある時期から
ほとんど何も感じなくなっていました。
通いはじめのころは
これまで溜めこんでいたいろんな感情が
どわ~っと出てきて
ワークのあいだじゅう、壊れた水道みたいに
涙やら鼻水やらを垂れ流していたのに
です。
みんなが、セッションを見て
泣いたり笑ったりしているのに
そんななかで私だけが
まるで枯れた井戸のように
自分の心が乾ききって
からっぽのように感じていました。
「このセッションを見たら
心のある人間は普通、めっちゃ泣くやん」
って思うようなセッションであっても
私の心からは、なんっにもっ!
出ないんですよ。
ヒーリングワークって
みんながいろんな感情を感じて
泣いたり笑ったり、怒ったりしますから
(ときには、暴れたりw)
会場の中は、まさに
「感情と魂のルツボ」って感じなんです。
ええ気分になりすぎて
酔っ払いみたいになってる人や
阿鼻叫喚状態で暴れてる人
腰が抜けて
動かれへんようになってる人なんかも
いたりするわけですよw
(もうホンマ、動物園みたい。
しかも、みんな檻から出て野放しやしw)
そんな熱い空間で、自分ひとりだけ
冷めてたりするわけです。
日常の空間でなら、そんな私のほうが
まっとうな人間だと思うんですけどねw
でも、周りみんながそんな状態だと
むしろ私のほうがおかしいんじゃないか
って感じちゃうものです。
飲み会で、み~んな
お酒飲んで酔っ払って
出来上がってるのに、自分ひとりだけ
ウーロン茶でシラフのときの
あのなんともいえない切ない感じ
「わっちゃ~・・・
私だけ取り残されてるや~ん」
っていう、すんごい疎外感
「みんな、ええ感じで壊れてるのに
私だけシラフって、イケてないや~ん」
っていう、訳の分からん劣等感
まさにあれですよ、あれ!
あれをさらに、倍率ドン!って感じですw
ものすんごい居心地が悪いんです!
周りで、椅子から落ちて暴れてる人が
まっとうに見えて
きちんと椅子に座って静かにしてる自分が
ダメに思えて。
(おかしいでしょw)
なんだかね、自分だけ
取り残されたような感じだったり
自分が心のない
「人でなし」になったような感じだったり
ワークのあいだじゅう
そんなものばっかり感じていました。
これ全部、誤解なんですけどね。
いま思えば、当時の私の”心の不感症”って
無理もなかったんですよ。
だって、前回お話ししたように、私の中では
コギャルとオヤジが
大喧嘩してたんですもの。
ゆっくり
テレビ(=目の前のセッション)を観て
コギャル(=私の中の感情の部分)が
感動して涙を流す
なんて状況ではなかったんですから。
でも、当時の私はそんなこと
理解できてませんでしたから
「いったい私、どうなってしまったん!?」
って感じでした。
でもね、ごくたま~に
ちょろっと感情が出てきたりするんですよ。
すると私は
「おおっっ!出てきた!」
ってな感じで、飛びつきました。
枯れた井戸の底から
ジワっとだけ水が滲み出たとたんに
喉カラカラの私が
井戸の底に這いつくばって
そのわずかな水を舐める
って感じですw
で、「感情は感じつくしましょう」なんて
癒やしの旅の一番最初に
教えられていたものだから
「よ~し、これを感じつくすぞ~☆」
って張り切って、身構えて・・・
ってしたら、たちまち
ちょろっと出てた感情が
どこへやらに逃げていってしまいます。
え、えええ~~~!?
感じつくされへんや~~~ん!?
どうやったら、感じつくせるの~~~ん?
っていうか、だいたい、感じつくすって
何な~~~ん?
で、人に訊くんですが
「そのまんま感じるってことだよ~」
とか、いまいち分からないんですよ。
ネットで記事を読みあさっても
「感情を感じつくす」は
「感情を感じつくす」なんですよ。
なんやねん、どいつもこいつもっ!?
おんなじような説明を
壊れたCDプレイヤーみたいにっ!
そんなんじゃあ
分からんっちゅうねんっ!
もったいつけんと
誰か、解るように説明してくれやっ!
ホンマに、イラっときましたね~w
その一方で
「そんなに説明がつかんくらい
単純なことなのか?」
「説明不要なくらい、みんな普通に
自然に、できてることなのか?」
とも思いました。
ほら、ほとんどの人って
あまり意識しなくても歩いてますよね。
で、誰かから
「歩くって、どうやってするの?」
って訊かれても
ちょっと説明しづらいじゃないですか。
人って、特に意識せずに
普通にできてることって
誰かにノウハウを教えることが
できないんですよね。
で、「感情を感じつくす」も
もしかしたら、それとおんなじなのでは?
って、思ったんです。
私以外の人たちはみんな、特に意識せずに
普通にできてるんじゃないか?
って。
ということは
そのやりかたが分からない私って・・・
超ダメ人間~~~!?
だから
ものすんごいコンプレックスを感じてしまい
途中からもう誰にも
「感じつくすって、どういうこと?」
なんて、訊けなくなりました。
「今さら、こんな超単純なこと
恥ずかしくて訊けない!」
って思ったんです。
でも、それは違ったんですね。
こうしてカウンセラーになって
みなさんにお教えする立場になってみて
ようやく解りました。
「感じつくす」って
目に見えない行為であり
人それぞれが感覚としてしか
認識できない行為。
そして、どういう感覚として認識するのかは
人によって異なるものなので
すべての人に共通するものとして
「こういうことだよ」
と説明するのは、すごく難しいんですね。
でも、当時の私は
そんなこと全然知りませんでしたから
「誰も説明ができんくらい
超単純で当たり前のことが出来へん私って
ダメダメな人間なんや」
って、思い込んでしまいました。
もう誰にも
「感じつくすって、どういうこと?」
って訊かなくなり、その代わり
「どうせ私は
感情なんて感じられない、不感症女やねん」
と、ふてくされてしまいました。
「どうせ私なんて
ダメ人間ですよ~~~だっ!」
って^^;
で、このときから
めっちゃ嫌いになった言葉があります。
「直感で☆」
という言葉。
カウンセリングや心理学の講座などでは
よく言われるんですよ
「直感で答えてみて」
とか
「直感で選んでみて」
とか。
でも私、この言葉を聞くたびに
いや~な気分になりました。
私みたいな心がからっぽな人間に
直感なんてあるはずないやん
って。
だから、こんなことを
口癖のように言うようになりました↓
「私に直感なんて、ありませんからっっ!」
こうして私は、ここからしばらくは
劣等感いっぱいで、ふてくされて
いじけた状態で
癒やしの旅を続けることになったのです。
でも、みなさんには
こんな楽しくない旅はしてほしくないので
私なりの「感情を感じつくす、とは」を
ご説明しますね☆
これは、私が実体験を通して感じたことで
私個人の感覚ですから
すべての人にあてはまるわけではない
と思います。
そして、目に見えないことを説明するため
どうしても抽象的になって
明確に理解しづらいかもしれません。
でも、何らかのかたちで
ヒントになればいいな☆と思っています。
まず、私がいちばん思っていること、それは
「そもそも、”感じつくす”という表現が
あかんのんとちゃうん?」
ということです。
「感じつくす」って、すごく能動的というか
自分から積極的に働きかける感じが
しませんか?
私のような
なんでも自力でなんとかしようとする
自立人間は
「感じつくす」と聞くと
どのように動くか?
例の、お茶の間のコギャルとオヤジで
見ていきましょうね。
テレビを観てコギャルが感動して
涙を流しはじめるわけですよ。
(これが
感情が出てきはじめた状態です。)
「感じつくすといいらしい」と聞いた
自立人間の心の中の”オヤジ”は
コギャルの涙に気づき、そして考えます
「よし、きっちり聞いてやろうじゃないか。
向き合ってやろうじゃないか」
って。
そしてオヤジは、テレビを背にして
コギャルの目の前にデンと座り
こう言います
「今日はお父ちゃん
お前の気持ちを理解しようと思うっ!
今、お前、泣いてるようやけど
それはどういう気持ちなんやっ?
遠慮せんと腹割って
お父ちゃんに話してみっ!」
コギャル、どうでしょう?
ひきますよね?
さっきまで盛り上がりかけてた感動も
せっかく出かかってた涙も
ひきませんか?
すっかり涙が止まってしまったコギャルに
オヤジはさらに言います
「あれ?なんやなんや!?
涙止まってきたやんかっ!?
恥ずかしがらんでええでっ!
遠慮せんと、どんどん感動しいやっ!
どんどん泣きやっ!
せっかくお父ちゃん
お前の気持ちと
向き合おうとしてるんやからっ!」
オヤジ、ウザいねんっっ!
ってか、テレビ見えへんしっっ!
ふたたび大喧嘩ですよねw
私は、「感じつくす」というのは
自分から感情に対して
積極的に働きかけるものだと
どこかで誤解していたのかもしれません。
で、感情が出てきたときには
ガシっ!ガバっ!とひっつかまえて
「ほら、きっちり感じたるから
遠慮せんと出ておいでっ!」
って、してしまってたみたいです^^;
そんなことをしたら、コギャルとおなじで
感情はひいてしまいます。
そして退散していく感情に対して、私は
「ちょっと!どこいくんよっ!?
せっかく私が感じたるって言うてるんやから
逃げんと出てきなさいよっっ!」
と、無理やり引き留めようともしていました。
(感情を抑圧することと真逆の行為ですね。
でも、これも、自然な感情の流れを
妨げるものだと思いませんか?)
私、ウザいオヤジだったんですね・・orz
だとしたら
オヤジは、そして私は、どうしてあげたら
コギャルが思う存分感動して
涙を流すことができたのでしょうか?
コギャルが涙を
流しはじめたのに気づきながらも
そっとしておいてあげる
余計な音を立てないようにしてあげる
(もちろん、いらんツッコミも入れない)
テレビの前を、横切らないようにしてあげる
隣で寄り添うように
(でも、コギャルの涙に気づかないふりで)
一緒にテレビを観てあげる
こうやって挙げてみると
どれも積極的に働きかけるのとは
程遠いと思いませんか?
そうなんです、積極的に働きかけるのは
逆効果なんです。
感情が出てきたら、何もしない
「え~、そんなん、普通やん?」
そう思いますよね。
そうなんです、普通なんです。
ことさら、「感じつくす」って言われると
何か今までとは違う
特別なことをしなきゃいけないのか
って、たぶん私、思ってたんでしょう。
でも、「感じつくす」って
「感じる」+「尽くす」
なんですよね。
感情なんて、みんな普通にしていても
四六時中感じているものです。
(意識はしていないかもしれませんが。)
それを、「尽くす」、つまり、
途中でやめない、それだけなんですね。
私たちは、普通にしていても
感情を感じているのですが
意識的に、あるいは無意識に
理性や理屈、あるいは
罪悪感や恐れなどの他の感情が邪魔をして
感情を感じることにブレーキを
かけてしまっていることがあります。
このブレーキを外す
つまり、邪魔をしない、それだけで
私たちはオートマチックに
「感じ」「尽くす」ことが、できるのです。
また、このブレーキを外すというのも
特別な何かをするのではなく、たとえば
「あ、いま私、自分の感情に
○×をつけてしまってるなあ」
とか
「こんな感情を感じたら悪いって思って
ブレーキをかけてるなあ」
とか
「こんな感情が出てきたらヤバいって
怖がってるなあ」
とか
ブレーキをかけていることに「気づく」
それだけでいいんです。
無理に、ブレーキをかけることを
「やめよう」なんてすると
またお茶の間で、大喧嘩になります。
こんどは
コギャルの邪魔をしているオヤジと
「ちょっと!
この子がテレビ観てるんやから
邪魔したったら可哀想やろっ!?」
と怒りだしたお母ちゃんの大喧嘩です。
(登場人物、増えましたなw)
これまたコギャルは
テレビ観てられませんよねw
お母ちゃんは
「あらまあ、お父さん
それじゃあ、この子
テレビに集中できませんよw」
って、オヤジに知らせてあげる
そしてオヤジは
「あ、オレ、邪魔してるかも」
って気づく
それだけでいいんですね。
気づく以外に
オヤジを黙らせる、退席させる方法としては
前回お話しした「音楽に集中する」が
超簡単でお勧めですから
続けてみてくださいね♡
「思考が止まるって、こういうことなんだ」
「感情を抑圧せずに感じるって
こういうことなんだ」
ということが、感覚として
得やすいと思いますよ。
要するに、「感情を感じつくす」とは
私の感覚でいうと
感情が出てきてるな~と
目の端で
(正確には、意識の端で、ですかね?)
見ながら
でも知らん顔をして
邪魔をしないようにして泳がせておく
っていう感じでしょうか。
ほら、スズメに餌をあげようと
ベランダに米の入った皿を置いたとき
そこにスズメが集まってきても
あからさまに
「わあ~~~、きたきた~~~☆」
なんて、窓に張りついて見てたら
スズメは餌も食べずに逃げちゃいますよね。
「あ、来てるな☆」
と、目の端で見ながらも、素知らぬ顔で
他のことをしているふりなどをしながら
物音などは極力立てないようにして
スズメが安心して
餌をついばめるようにしますよね。
あんな感じでしょうか。
どうでしょう?
なんとな~く、感覚として
解りますかね???
解りづらいですかね???
仮に、感覚として解ったとしても
実際やってみると
最初はなかなかうまくいかないと思います。
10回やって1回できたら
御(おん)の字かもしれません。
現代人って
自分の感情を抑圧する訓練を積みすぎて
感情をありのままに感じるということには
慣れていないんです。
だから、練習が必要なんですね。
それに、傷つきすぎていたりすると
感情を感じようにも、痛すぎて
どうしてもブレーキをかけてしまい
なかなか「感じつくす」ということが
できなかったりもします。
だから、時間も必要だったりします。
(カウンセリングで
お手伝いすることもできますよ☆)
なので、うまくいかないからといって
私のようにあまり焦ったり
「自分はダメなんだ」
なんて思ったりしないで、繰り返し
やってみてくださいね☆
それから、当時の私のように
感情そのものが出てこない
という方のために、もうひとつ☆
当時の私は
「感情が出てこない」と思っていましたが
おそらくそのあいだもずっと
何らかの感情は出ていたんだと思います。
ただそれは
ふだん感情を認識している部分ではなく
別の場所、別の感覚でしか
認識できなかったんだと思うんです。
この別の場所、別の感覚とは・・・
身体
です。
感情が出てきても
心はなんにも認識できないのだけど
なぜか、肩に力が入っていたり
胃がチクチクしたり、胸が痛んだり
下腹が鈍く痛んだり
手足がしびれたりなど
身体の違和感として
認識できることがあります。
(と言っても、ごくごくかすかにですよ。)
また、最初は心で認識できていた感情も
感じているうちに
身体に違和感が出てきたり
なんてこともあります。
この場合は、その違和感に
意識を向けてみてください。
そこに手を当ててみてもいいですよ☆
そして、ゆっくり呼吸をしながら
吸ったときに
頭のてっぺんからエネルギーが流れ込み
吐いたときに
そのエネルギーが手足の先から流れ出る
といった感じで、エネルギーが全身をめぐる
イメージをしてみてください。
そして、このエネルギーが
違和感のある部分を通るたびに
その違和感を
少しずつ溶かしていくイメージです。
私の場合、違和感のある部分に石ころがあって
エネルギー(水のような感じです。)が
その石ころを少しずつ溶かして、一緒に
身体の外に流れ出ていく
という感じのイメージをしたりしています。
これも、感情を感じつくす
ひとつの方法なんだと思っています。
(こんなこと
答え合わせできる場もないので)
むむ~・・・
ここまで書いて、読んでみると
なんだか抽象的で解りにくいというか
怪しいというか・・・
やっぱり、「感じつくす」って
説明が難しいのね~
と、今になって理解できた
つるぞのなのでしたw
「壊れたCDプレイヤーみたいに
おんなじ説明ばっかりしやがってっ!」
と、昔さんざん(心のなかで)
毒を吐いてしまった
先輩カウンセラーさんたち
本当にごめんなさい~~~!
そして今、この記事をごらんになって
「アンタの説明も解りにくいねんっっ!」
と、イラっとされているみなさん
また何かの機会に質問してくださいね~♡
というわけで、「私は、不感症女」という
新たなコンプレックスを持つようになった
つるぞのの癒やしの旅は
まだまだ続くのでした~☆
次回に続きます☆↓
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