【無料でプレゼント!!】「なんで結婚できないの?」が分かるeBook

「信頼よりも、心配してくれ!!」って思ってた私が、改心した話・・・w

ども〜☆
恋愛・結婚サポーターの鶴園みあです^^

「お父さん、お母さんから
十分に愛してもらえなかった」
という想いや
そこからくる、いろんな誤解が
私たちの恋愛や結婚に与える影響って
じつは、ものすごく大きいです。

なので、今日は
過去にアメブロでアップした記事を
リライトして、お送りしますね☆

 

貴女は、「愛される」っていうと
どんなふうに扱われることを
イメージしますか?

一言で「愛」って言っても
いろんな愛しかた、愛されかたが
あるはずなんですよね。

だけれども、多くの女性たちは
(もしかしたら、男性も?)

いっつも一緒にいてくれて
なんやかんやと
心配してくれて、かまってくれて
いろいろと助けてくれる

っていう、そういう愛されかたを
まずイメージするようです。

じゃあ、実際、貴女が子どもだったころ
貴女のお父さん、お母さんは、そんなことを
どれくらい貴女にしてくれたでしょうか?

・・・って尋ねると
「それが、あんまり・・・」
って、不満を
漏らしたくなられるかもしれませんね。

実際、私のところに来られるお客さまでも

「他に兄弟もいたので
私にまで手がまわらず、親はいっつも
”自分のことは自分でしなさい!”と言って
助けてくれませんでした」

「両親ともに、忙しくしていて
あまり甘えさせてくれませんでした」

と、不満を口にされる方は多いです。

私もね〜、そうでした。

私は、上は兄、下は妹の
三人兄弟の真ん中っ子。

兄ほどには、親から期待をかけられず
かといって、妹ほどには
甘えさせてもらえず

「自分のことは、自分でしなさい!」

って突き放されるんだけど、そのくせ

「あれはダメ、これもダメ」

って、中途半端に制限されたり
ダメ出しされる。。。

子どものころ、というか
ある程度大人になるまで、私は

「自分のことは、自分でしなさい!」
って、親が突き放すのは
私の世話を焼くのが
めんどくさいからなんや

「めんどさいから、頼るな!」
って、私を拒絶してるんや

って思ってました。

 

「それは、決して
貴女を愛していなかったからではなく
貴女を信頼していたからなんですよ。

そして、”信頼”も”愛”なんですよ。

それを、受け取りましょうね☆」

 

母校のカウンセリングスクールで
トレーナーから
こんな話を聞いたこともあります。

だけれども、当時の私は
頭では理解できても
心が受けつけなかった。。。

納得できなかったし、逆に
腹も立ちました。

なにが信頼やねん!?

信頼して委ねる、やなんて言うて
結局、世話する手間や労力を
ケチってるだけやんか!?

そんな横着
愛情でもなんでもないわ!

屁のツッパリにもなるかあ!

私は、信頼よりも
心配してほしかったんや!

って思ってました。

 

そんな私の考えを変えてくれたのは
それから数年後
息子たっくんが
小学校に入学した直後の出来事でした。

幼稚園とか保育所だと
親が送り迎えしたり
送迎バスとかがあったりしますやん。

でも、小学校に入ったら
子どもたちは
自力で登下校することになります。

うちのたっくんも、もちろん
そうなりました。

赤ちゃんのころから今まで、ずっと
自宅マンションの敷地内にある
託児所に通っていたし
それも、私が送り迎えしていたから
小学校の登下校は、たっくんにとっては
人生初の単独移動になります。

これね、他人の子どもなら
「まあ、小学生になったんなら
それくらい、大丈夫でしょ」
って軽く「信頼」できるんですが
(これ読んでるみなさんも、今
そう思ってるでしょw)

我が子となると、そうはいきません。

「迷子になるんとちゃうか」

「事故に遭ったりせんやろか」

「誘拐とか、変質者とかも
ないとは言い切れんし・・・」

って、いろんな不安や恐れが
心の中にうずまきます。

でも、そうは言っても
ずっと私がひっついていては
たっくんは、いつまで経っても
独り立ちできません。

どこかで勇気を出して
送り出さなければなりません。

そんなわけで
私の不安や恐れなんて関係なく
たっくんの単独登下校が
スタートしました。

 

小学校へは
うちのベランダから見える広場を通って
行きます。

このころの私は
たっくんが無事に広場を通って
小学校に行くのを見届けたくて
毎朝、ベランダに出たものです。

たっくんは
私の不安や恐れなんか、全く知らず

「行ってきま〜す☆ギャハハ〜(≧▽≦)」

なんて、ノーテンキに手を振って
行ってましたが

私のほうは
そんなたっくんを見送りながら、いっつも

「どうか、今日も無事に、元気に
帰ってきてくれますように」

って、めっちゃ祈ってましたよ^^;

それまでは
「信頼なんて
屁のツッパリにもなるかあ!」
って思ってた私ですが

仮に誰かから
「祈るなんて
屁のツッパリにもならんやんw」
って言われたとしても
祈ることしかできませんでした。

だって、もう
一緒についていくとか
代わりに私が行くとか
できないんだから。

このとき、思い知りましたよ

信頼して委ねるって
こんなにしんどいものなのか

って。

こんなにも
心のエネルギーを費やすものなのか

って。

こんなことなら
自分の手で助けたり、干渉するほうが
よっぽど楽やん

とも思いましたね^^;

 

小学校の登下校ですら
コレですからね

これから、たっくんが
中学校とかに入って、たとえば
受験なんかするようになってきたら

なんぼ心配でも
「お母さんが代わりに
テスト受けたるっっ!」
なんて、できませんやんw

いろいろ経済面とか環境面から
サポートすることはできても

最終は、本人が頑張ってクリアせんと
どないもなりませんし

親は、ただただそれを信頼して
本人に委ねるしかないんですよね。

そんな感じで、これから
たっくんが成長するにつれ、だんだんと
私たち親が直接
助けてあげられることは減ってきて

こうやって祈るしかできへんことが
逆に増えてくるんやろな〜。。。

って、ベランダからたっくんを見送りながら
しみじみ思ったものです。

 

さらに・・・

ある日、ベランダで見送る私の脳裏に
ずっと忘れていた光景が
蘇ってきたんです。

それは
私が子どものころに住んでいた家の門の前で
手を振る母の姿。

「そういえば、おかんも、一時期こうやって
私のことを見送ってくれてたな〜」

って、思い出したんです。

あ〜、あのときのおかんも、きっと
今の私と同じ気持ちやったんやろな〜

そのあとも、私の成長とともに
ときには、こんな不安や恐れを感じながらも
信頼して送り出してくれてたんやな〜

いっぱい、祈ってくれてたんやな〜

って、息子に祈りを送りながら
昔、両親が私に送ってくれてただろう祈りを
いっぱい受信しました。

うん、ベランダで、泣きそうやった
いろんな意味でw

 

信頼なんて、単なる手抜き、横着や
っていうのは誤解で

じつは、ものすごく
心のエネルギーをつかう
大きな大きな愛なんですね。

でもね、私がこんなに
いろんなことを思いながら
祈ってるやなんて
たっくんは、きっと気づかないんですよ。

それくらい、「信頼」とか「祈り」って
気づきにくい愛なんです。

だけど、たとえ気づかれなくっても
感謝されなくっても
親は、そんな愛を
子に送りつづけるのですね。

貴女も大人になって
誰かを信頼して委ねようとしても
なかなかできなくて
「信頼して委ねるって、難しい!」
って感じた経験が、少しでもあるのなら

今まで気づけなかった、ご両親からの
「信頼」という愛情を、受け取れるはず。

あのとき、お父さんやお母さんが
 「自分のことは、自分でしなさい!」
って、貴女を突き放したのは、決して
「めんどさいから、頼るな!」
って、貴女を拒絶していたとか
愛していなかったからではなく

なんやかんやしてあげたくても
そういう愛し方をする余裕が
お父さんやお母さんになかったり
貴女の成長のためだったり
いろんな理由から

貴女を信頼して
委ねるしかなかったんです。

お父さんやお母さんも人間なので
ときには、不安や恐れや
「自分がいっぱいいっぱいで
十分に助けてあげれない」
っていう罪悪感やジレンマに、心乱されて
つい、貴女に辛く当たることも
あったかもしれませんが。。。

そんないろんな感情を抱えながらも
ものすんごい心のエネルギーを
貴女を信頼するということに
注いでくれてたんです。

だから
これまで貴女が気づかないところで
ご両親が貴女に向けてくれていた
たくさんの「祈り」を、「愛」を
今からでも、受け取ってください。

それができたなら、貴女も
「私は、お父さんお母さんから
十分に愛してもらえなかった」
「それくらい、私は
愛される価値のない人間なんだ」
という誤解が解けて

「こんな私を助けてくれる人なんて
きっといない」
と、孤独に頑張ってばかりの
しんどい生き方から

誰かを信頼して、委ねられる、頼れる
そんなラクで
人とのつながりや愛が感じられる生き方に
シフトできますよ☆

 

息子よ、ホンマ、おかんの気苦労にも
ちょっとは気づいてくれw

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください