いよいよ、結婚式&ハネムーンのため
相方と2人、ハワイに飛び立った
ワタクシつるぞの☆
飛行機が離陸した際に
まるで古い自分が死んで
天国に召されていくかのような
不思議な感覚に襲われたわけですが・・・
そうなると、このときのハワイは
私にとっての”あの世”というか”天国”
ということになりますね。
その天国で私は
ハートが震える体験をすることになります。
おそらく私は、あの体験を
一生忘れることはないでしょう。
今回は、そのことについて
お話しいたします☆
前回のお話は、こちら↓
このシリーズ全話のリストは、こちら↓
もともと、このお話を
みなさんにお伝えしたくて、そのためだけに
長いあいだ、このシリーズを
続けてきたようなものなのです。
でも、いよいよこのお話を書くとなると
あのときの私の感動を、どこまでみなさんに
お伝えできるのか、ちょっと不安で
ドキドキしています。
ちゃんと伝わるといいのですが・・・。
ハワイに到着した日の翌日
私たちは、教会で結婚式を挙げました。
2人っきりの
こじんまりとした式ではありましたが
ここにたどりつくまでの
長い長い道のりが思い出され
胸がいっぱいになりながらの
結婚式となりました。
涙で目がウルウルするのをこらえながら
相方のほうを見ると
相方もウルウルしておりました。
相方もまた
胸がいっぱいになっていたようです。
静かな感動に包まれて
結婚式は滞りなく終わりました。
その後の約3日間は、自由行動。
オプショナルツアーに参加したり
ショッピングセンターをブラブラしたりして
私たちは、ハワイでのハネムーンを
満喫しました♪
そして、楽しい時間は瞬く間に過ぎ去り
ハワイでの最後の夜・・・
私たちは、あるオプショナルツアーに
参加しました。
そのツアーは
ポリネシアカルチャーセンターの
ナイトショーを観に行く
というものでした。
このナイトショーでは
ハワイ・タヒチ・トンガ
サモア・フィジーなどなど
ポリネシアの島々のいろんなダンスを
総勢100人近いダンサーが踊るんです。
ものすごく大きな舞台で
大勢のダンサーたちが活き活きと
そして情熱的に
各地のダンスを踊ります。
どのダンスも
命の輝きと生きる喜びに満ちていました。
命を授けてくれた神様に感謝し
そして与えられた命を
めいっぱい謳歌している
そんなふうに感じられたのです。
そして、どうも見ていると
どのダンスにも
「男踊り」と「女踊り」があるようでした。
ほら、たしか阿波踊りでも
男性の踊りと女性の踊りって
違いましたよね?
あんな感じです。
男性は、両手両足を力強く
ガシガシ動かす感じで
勇ましさや力強さを表現し
女性は、しなやかに手を動かし
なまめかしく腰を振り
美しさや優しさ、愛情、色っぽさを
表現している感じでした。
それぞれに違う動きをする男女が
互いに何やら歌いかけ
調和しあいながら踊る様は
私にはこのうえなく美しく思われ
感動のあまり、私は
息をするのも瞬きするのも忘れ
見入ってしまいました。
何がそんなに
美しくて素晴らしいと思ったのか?
それは・・・
まず、誰も自分の踊りを
卑下してないんです。
「ええよな~、女踊りは華やかで。
やっぱダンスの花形って、女性やん?
それにひきかえ、男踊りなんて
地味やし、むさくるしいし
オレ、男踊りより
女踊りがやりたかったなあ~」
なんて言ってる男性ダンサーも
「女踊りなんて、腰振って
男に媚び売ってるみたいで、嫌やわ。
私も、自分を立派に
勇ましく見せられる男踊りがしたいわ~」
なんて言ってる女性ダンサーもいません。
そして、誰も
相手の踊りを蔑んだりしていないんです。
「なんや、お前のやってる女踊りは!?
ナヨナヨしやがって、気持ち悪いねん!
オレの男踊りのほうが
よっぽどええっちゅうねん!」
なんて言ってる男性ダンサーも
「なに、アンタの男踊り!?
ガシガシガシガシ
ガサツでむさくるしいし
華やかさがないやん!
やっぱ、うちらの女踊りのほうが
優雅よね~~~( ̄ー ̄)」
なんて言ってる女性ダンサーもいません。
そんなん、あたりまえやん?
って思われるかもしれませんね。
男性ダンサーと女性ダンサーが
卑下しあったり
けなしあったりしているダンスなんて
見たことも聞いたことも
ありませんもんねえw
でも、そんな当たり前なはずの光景が
これまでの私の人生では
当たり前ではなかったのです。
私は幼いころから、父の
女性をひどく蔑む言動を
間近に見て育ちました。
そして、当時の周りの社会にも
そんな空気を感じていました。
ちょっと出来ないことや
ダメなところがあったりすると
「これだから、女は・・・」
と言われ
かと言って、ガシガシ頑張って
目立ちすぎると
「女のくせに・・・」
と言われました。
頑張っても頑張らなくても
女性であるということを使って
責められたのです。
私にとって、自分が女性であること、それは
足かせ以外の何物でもありませんでした。
そんなこともあって私は
人生のずいぶん早い時期から
自分が女であることを卑下するどころか
ひどく呪うようになりました。
そして
「私が女であるかぎり
父からも世間からも愛されない。
なんとしても、男にならなければ!」
と頑張ってきたのです。
もともとは、身体もひ弱で
性格も臆病で、弱虫だったんです。
そんな自分にムチ打って、勉強も仕事も
周りの男性に負けないくらい頑張りました。
ある程度の結果は、出せたと思います。
でも・・・
私が女性として生まれてきたこと
生物学上は女性であるということ
これは動かしようがありませんでした。
どんなに頑張っても
身体も心も、女なんです。
どんなに頑張っても
オチン○ンが生えてくるわけがなく
恋に落ちる相手は、どうしても男性です。
どんなに頑張って強くなっても
勇ましくなっても
本物の男性を前にしたとき
やっぱり自分は
依然として女性なんだ
という事実を
突きつけられてしまうのです。
本物の男には、なりきれないのです。
自分が女性であることを隠すため
自分の弱さや不完全さを隠すため
”屈強なオッサンの着ぐるみ”を
着てはみましたが
所詮そこについてるオチン○ンは作り物
本物のオチン○ンにはかないません。
結局、女の私が男になろうとしても
そこには限界がありました。
また、女の私があたかも男であるかのように
頑張ってきたために、身体にも心にも
大変な無理がかかってしまいました。
生理が1年以上もこなくなったり
その代わりに不正出血だけが
ダラダラと続いたり
やっと生理が来たと思ったら
のたうちまわるくらいの異常な生理痛。
昔は、感受性も喜怒哀楽も豊かだったのに
感情を切って頑張りすぎたために
心が硬直化し、不眠に悩まされ
何に対してか分からない怒りを
四六時中抱えるようになり
さらには、慢性的な疲れや虚しさから
死を意識するようにもなりました。
ここまでボロボロになるまで頑張っても
本物の男にはなれない。
でも、世の中には、大して頑張らなくても
ただオチン○ンがついてるというだけで
女の私よりも優遇されている男性が
ワンサカいる。
そして彼らは、ただ
たまたま生まれたときに
オチン○ンがついていただけなのに
たまたま生まれたときに
オチン○ンがついていなかった
私たち女性を蔑み
虐げるにちがいないんだ・・・
(あ、これ全部、当時の私の
誤解&妄想ですからね^^;)
そう考えると悔しくて悔しくて
世の男性たちを激しく憎みました。
「なんやねん、アイツら!?
オチン○ンついてるだけで威張りやがって!
実際にはガサツで、ヘタレで、鈍感で
怠惰で、乱暴で、サイテーやんか!?
人間的には、女性のほうが
ずっと優秀やんか!?」
と、逆に男性を蔑んだこともありました。
おそらく、男性になれなかった私の
負け惜しみなのでしょう。
プラス
そうやって男性を見下していなければ
女性である自分がみじめで
耐えられなかったのでしょう。
「男女平等」って言いますやん。
私ホンマに、幼いころからずっと
これを強く望みつづけてきました。
でも、今まで私が追い求めてきた
「男女平等」っていうのは
「女にも、男とおんなじように
生きさせてくれ!」
つまり
「女性やからという制限なしに
男性がやってるのとおんなじことを
自由にやらせろ!」
というものでした。
「女性にもオチン○ンを!」
ってことですねw
でも、現実問題として
女性として生まれたかぎり
身体的にも精神的にも
女性ゆえの特性や限界はあります。
(もちろん男性は男性で
あるのでしょうけれど。)
それは誰かが
「よし、じゃあ
女性やからという制限は、なしにしよう☆」
と言ったところで、なくすことはできません。
だから、上に書いたような意味合いの
「男女平等」なんて、どんなに追い求めても
完全に実現することは不可能なんです。
もし仮に、実現できたとしても
つまり私が、本物のオチン○ンを
生やすことができたとしても、おそらく
私の心が満たされることは
なかったでしょうね。
だって、私の本当の望みは
「男性からも、そして社会全体からも
女性としての私を、愛してもらいたい」
というものだったんですから。
女性である自分を、ひどく呪っていました。
女性である自分を
ひどく傷つけてきた男性のことも
ひどく憎んでいました。大嫌いでした。
男性は大嫌いだったけど
その男性になれば自分は
愛される、自由になれる
とも思っていました。
でも本当は、男性に
「女性として」愛されたいと
願っていたんです。
男性が大嫌いなのに。
女性としての自分が、大嫌いなのに。
こう書いてみると、なんか
矛盾してますねえw
でも、そんな矛盾した感情を
私はずっと抱えてきたんですね。
えっと・・・
想いにまかせて書いてたら
何を書こうとしてたんだか
分からなくなってしまいました。
まあ、要するに
私がイメージしていた「男女平等」では
私は幸せになれないということです。
だって、私の本当の望みは
女性のまんまで
男性からも社会全体からも愛されること
だったんですから。
本物のオチン○ンを生やすことではなく
オチン○ンのないままで
オチン○ンから愛されること
だったんですから。
男性に、女性として愛されたかった。
女性である自分の価値を
社会から正当に評価されたかった。
「お前が女の子に生まれてきてくれて
よかった」
と、父に言ってもらいたかった。
そして、私自身も
「女に生まれてきて、よかった」
と、思いたかった・・・。
目の前のダンスショーでは
男性ダンサーも女性ダンサーもみな
誇らしげに顔を輝かせて、踊っています。
そして、男女それぞれのダンスを踊りながら
互いに話しかけるように歌っていました。
なにせタヒチやらハワイやら
トンガやらの言葉だったりするので
互いに何を言い合っているのか
さっぱり分かりませんでした。
でも、私の目には
「(女性ダンサーたちに)
キミら、めっちゃ綺麗やで~~~♡」
「(男性ダンサーたちに)
アナタたちも、めっちゃ素敵やわ~~~♡」
と、互いに褒めたたえあい
「うちら、みんな、みんな
素敵やんなあ~~~♡」
と、男女一緒になって
自分たちを誇っているように見えました。
女が”男とおんなじ”になるのでもなく
男が”女とおんなじ”になるのでもなく
女は女のまま、男は男のまま
そして、それぞれが
それぞれの性を誇りに思い、楽しみ、喜び
互いが、互いの性の素晴らしさ、美しさを
讃えあい、愛しあい
互いの調和によって生み出されるものの
素晴らしさ、美しさを
堪能しながら生きていく・・・
今までは、自分が男になるんだと
”屈強なオッサンの着ぐるみ”を
着ていたけれど
そんな着ぐるみの
オチン○ン(←作り物)を
ブラブラさせるよりも
着ぐるみも作り物のオチン○ンも手放して
オチン○ンのない女の身体で
男性のオチン○ン(←本物)を受け容れ
「アンタ、ホンマに素敵やわ~~~♡」
と、男性(のオチン○ン?)を褒めたたえ
「私、女に生まれてよかったわ~~~♡」
と、男性(のオチン○ン?)によって
幸せになれちゃう女の自分をも
喜び、堪能する
そんなふうに
女性のまま男性と愛しあえたほうが
どんだけ魂が震えるくらいの
幸福感に包まれることか
喩えは下ネタになってしまいましたが
要するにそういうことなんですね。
(このシリーズ最後の下ネタやと思うので
赦してやってくださいw)
ダンスショーに見入りながら、私は
そんなことを想っていました。
ああ、私が本当に欲しかった生きかたは
これなんや・・・
長いあいだ迷走しながら
求めつづけてきたもの
それが何であるのか
いま目の前に示されているような気がして
「やっと、見つけることができた」
と感慨ぶかくて、胸がいっぱいになって
気がつくと私は
両目にいっぱい涙を溜めていました。
ホンマ泣きそうやったんですけど
そこはグッとこらえましたよ、必死で。
だって
ポリネシアカルチャーセンターの
ダンスショーですよ。
べつにお涙ちょうだいの
悲しいショーじゃないんですよ。
南国のノーテンキなダンスショーなんです。
そんなところで
ボロボロ泣きながら観てたりなんかしたら
あきらかに変な人でしょw
だから、左隣の相方にも
右隣のアメリカ~ンなファミリーにも
気づかれまいと
溜まった涙を落とさないように
目をしばしばさせて乾かし
鼻水が出そうになるのも
音を立てないように、そろ~~~っとすすり
こっそり感動しながら
目の前の”ビジョン”を
心に焼きつけたのでした。
「来世では、こんなふうに生きよう」
と。
来世といっても
そんなに先の話ではありません。
なにせ古い自分が死んで
ハワイという天国に来ている私ですから。
ダンスショーを観た翌日、私たちは
ホノルル空港から飛行機に乗り
帰国の途につきました。
関西国際空港付近の上空まで来て
飛行機が着陸態勢に入ったとき
私は往きと同じく
窓から眼下に広がる地上の夜景を見ました。
出発のときには
古い自分が死んで
天国に行く感覚がしましたが
こんどは、新しい自分が生まれ変わって
地上に降り立つ感覚がしました。
新しい人生の始まり・・・
ハワイの、あのダンスショーで誓った
「来世」です☆
「こんどの人生では
自分が女であることを喜び、誇りに思い
女性のままで幸せになる
生きかたを選ぼう」
私はあらためてそう誓いながら
飛行機を降りたのでした。
もちろん急に、私の周りの環境が変わって
私を女性のままで
愛してくれる人たちばかりになるはなく
逆風は残念ながら、依然として
世の中にはあるでしょう。
でも、この1年あまりの”癒やしの旅”で
いろんな気づきや癒やし
そして仲間を得た私なら
そして、これまでどんなときも
私のことを受け止めて愛してくれた
相方が一緒なら
こんどこそ、そんな生きかたを
実現できるような気がするのです。
・・・というわけで
もともとは、このお話を
最終話にするつもりだったのですが
あと少しだけ
みなさんにお伝えしたいことが
あるような・・・ないような・・・
(どないやねんw)
なので、あと1話だけ、続きます☆↓
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